そうだ。
目標なくして何事も成就はできない。なので今年も現在の心境を記しておこう。
ということで、今年もまた:
「2011年の抱負」
である。
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その前にまず、これまでの反省からだ:
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悩みまくった不惑を終え、天命を知ることができる年齢となったらしいのだが、まだまだ天の声は聞こえては来ない・・・・。
振り返ってみれば、孔子様の言う通り、大体「十有五にして学に志し」たが、「三十にして立つ」は遅れた。
実際に自立して事業を始めたのは38歳であり、自分で道場を始めたのは40歳だったから8年〜10年程遅い。
だから 「四十にして惑はず」どころか、40台は五里霧中だった。
迷うこともできないくらいただひたすら、自分が1日でできる事をするだけで精一杯だった。
「惑わず」というのは「狭い枠にとらわれないこと」というのが本来の意味らしいが、自分はどうだったかと言えば、多分自分のこだわりを仕事にも反映して来たため、狭義に解釈すれば惑いまくって来たと言える。
そんな自分がとうとう「天命を知る」べき年齢を過ぎた訳なのだが、まだまだ未熟故に天命を知るどころか不惑の域にも達していない。
孔子様は「六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。」と達人への道を示しているが、自分が70歳までに果たしてこの境地に達することが出来るかは、かなり疑問なのだ。
不惑と言うのは武道で言う「守・破・離」の守かもしれないと最近になって考え始めた。そして「 命知/耳順」というのは破で、「従心」は離、に似ているのかもしれない、と。
ということは論語にある、「 子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩 ( 子曰はく、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず)」は 「15歳で武術修行を始め、30歳にして道場を始め、40にして一心不乱に稽古を続けた結果、50にして理合 の意味がぼんやりと分かってくる。その後も稽古を続け、60にしてさらに理合が理解出来るようになり、70にして極意を得て達人の域に達する。」なのかもしれない。
そして同じく論語にある「学びて思はざれば則ち罔く、思ひて学ばざれば則ち殆し(教えられたことを受け入れるだけで、自分で考えて見ないと外が見えないし、
自分で考えるだけで、教えられたことを受け入れないと、油断したりして危うい目にあう)」というのは「良師に付いて教えを受け、自分で深く考えて学ぶ」ということであるから、これを忘れずに稽古を続けることが大切であろう 。
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次に今の考えとこれからの課題だ:
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私は 「古えより伝わる形(かた)というものは、人の動きを一連の決まった約束事に集約し、それ以外の動きを一切排除することを最終の目的としており、 その動きを会得したとき、体は無駄のない武術的動きに質を変え、形の教える究極の動きに変化し、 制約された動きの中にありながらも、 一切の制約を感じず、全く自由に動くことが可能となる」と考えている。
真に自由な動きとは真に自然な動きであるから、「大自然の法則に則った動き」ということになる。そして大自然の法則とはすなわち運命と言えると思う。
つまり「自由自在に動き回ることができる」ということ自体が「運命(法則)に則った動き」であり、真の自由を得るためには、 心と体を厳しく律し修行しなければならない」ということなのではないか。
すなわち「自由意志」と「運命」は相反するものではなく、共にあるべきものなのだということだ。
私はもちろん究極の動きを自得できていない状態であるから、自分の意思が自然の摂理と一致せず、動く度に不自然なことが起きて、人生においてもいろいろな不都合が生じる。間違いや失敗も多い。しかし、それは自由意志と運命が相反しているのではなく、「単に修行が足りない」だけなのではないか。
「運命には抗えないのか」と嘆く前に「自分の未熟さ」を自覚し、反省し、より一層の修行に励むことこそが自由に生きることへの第一歩なのではないのか。
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よし、良い調子の展開だ。
そこで今年の抱負となるわけだ:
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「天命聞こえず」と嘆く事をやめ、ただひたすらに稽古に励め。さすれば道は開かれん」と自得し、
今年も修行あるのみ!!
これこそ我が2011年の抱負である。
*言葉は昨年と同じでも、内容は進化しているはず・・・。