Masa安藤の「アラスカで独り言」



新年の抱負を語る前に

新年あけましておめでとうございます。「新年の抱負」を語る前に、いつもの癖で「目標」とか「目的」について考えて込んでしまいました。

オリンピックの参加資格などが話題になっている今日この頃ですが、私は最近よく考えてしまいます。

貨幣経済、資本主義的経済に基づく価値基準が一般化して人々は貧乏は失敗者、金持ちは成功者、無名は失敗者、有名は成功者であると信じて疑いません。もちろんそういった見方になってしまうのは理解できますが、しかし本当にそうなのでしょうか。そこには人間の高潔さや本当の優しさなど、道徳的なものを基準とした価値判断は見当たりません。

現在の日本ではそれは学校教育の現場でさえもほとんど見られず、学ぶこと本来の楽しさを体験するどころかその逆に目先の問題である大学受験に勝つことを教え、部活動においては特にスポーツ系で「相手に勝つ」ことを目標として練習に励む姿を見るのが普通になっています。

もっと違う価値基準の存在を伝えることのできる宗教や、伝統文化でさえ、宗教は逆に人を攻撃することにより邪魔なものやシステムを排除して勝とうとするものも現れ、伝統文化は形骸化してしまって自分自身の人生を賭してまでも技術を修練するほど奥深いものでなくなって来てしまっているものもあるようです。だからではないのですが、やっぱり結果重視の価値観が気になるのです。

それは絶対的な価値基準を持たず(持てず?)、相対的に実力を比較して良いほうをよしとする価値観です。

例えばそれはスポーツやそのほかの競技の目的を「競技で一番になる」こととするのが代表的で、そこには相対的な価値基準が顕著に現れています。別にそれは悪いことではないのです。でもその種目を練習することの価値を、その種目で他人より上、つまり一番になることを最重要ポイントとして考えるのか、それとも他人のレベルに関係なく、その種目における自分のレベルを上げてゆくことを最重要ポイントとして考えるのかということの間には明らかな質の違いが存在します。それはライバルや具体的な相手を見て、「その人に勝つこと」を目標にすることにより「自分の技術を上げてゆく」のか「より高度な技術を修練において修得すること」を目標にしてその結果「勝てるようになる」のかという違いです。これは一見どっちでもいいようなことなのですが、実は人間の価値判断の基準を決める上で大きな違いを生むことがあると私は考えるのです。

スポーツでも武術でも、競技で相手に勝つことを至上の目的とする場合、それは例えば相手が何らかの理由で試合に出ることができなくなることにより得られる勝利であっても、試合をして得た結果でも同様に目的は遂げられることになります。

相対的価値基準を持つモラルの低い競技者は相手が試合に参加できない場合は「残念だ」とは思わず、反対に「幸運だ」と思うでしょう。その中で「内心ほくそえむ」だけの人もいれば「ガッツポーズをして大喜びする」という人もいるでしょう。どちらもレベルの違いはあれ程度の低さは同じといえると思います。もっとレベルの低い人ですと相手が競技に参加できないように心から祈ったりするでしょうし、これは稀ですが、競技場外で実際に相手を妨害したり、傷つけたりする例も過去にはあります。

昔の剣術修行者の場合は「負け」イコール「死」を意味しましたから、修行中の目的はどうあれ、試合中は特に「戦う相手に勝つこと」に固執せざるをえなかったでしょう。それだからこそ、それを乗り越えるには現在のわれわれには想像を絶するほどの葛藤と覚悟を必要としたと考えます。その結果「死」を受け入れられる境地となり、初めて「相手」ではなく「自分」と対面でき、修行者の修行の目的が絶対的価値基準に基づくものに変わるに至ったのであろうと思われます。

「相手に勝つこと」を目的とするのではなく、高いレベルの技術の修得、自分の実力を冷静に分析、判断できる洞察力、どのような状況にも揺るがぬ意志、誘惑や脅し、さらには賛美の言葉にも負けない強い心などの修得、つまり「極意を得ること」を最終目標とする高い志を持ち、そこに至るまでの道のりを絶対的価値基準に基づいて計画することが一般的によく言われる『「相手」ではなく「自分」に勝つ』とか「克己」ということなのだと思います。

古の剣聖などがそう言った絶対的価値基準を持って修行した結果その粋に至ったということは想像に難くありませんが、現在そのように修行されている方々はほとんどが名利を求めていないので世間では無名である場合が多いようです。有名人では例えば野球の鈴木イチロー選手などが多分絶対的価値観を持たれてご自身の練習を修めていらっしゃると私は思っています。

他人や世間一般の価値判断にその評価を委ねず、深い洞察力と独自の価値基準を持ち、その上で常に自分の理想を高く持ち続け、それに向かって一心に進んでゆくことこそが本来の求道者の姿であり、それが「人」として往く上で本当に価値のある「道」なのだと思います。そういった努力を続けることにより人は本当に大切なものを見分ける心の眼を持つことができるようになり、その結果、本当の意味で他のものに優しくできるようになり、いろいろなものに本当の意味で感謝できるようになるのではないだろうかと思います。


競技はあくまでもその時の自分のレベルを図る目安となるものであり、結果は相対的なもので、絶対的な優劣を競うものではないということを理解し、高い理想と絶対的価値基準に基づいた目標を持って常日頃の修行に勤め、是非、単に「相手に勝つ」ことではなく、「高い理想に向かって厳しく自己管理された日ごろの練習・修行の成果を示すようなハイレベルなわざと心を体現すること」が競技参加の目的なのだと考え、日ごろの練習の成果を存分に発揮されることを心から願っています。
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by 814690 | 2006-01-07 14:28
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アラスカ生活mo30年! アラスカが大好きで、そのアラスカの素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいと願ってやまない男、しろくま代表:Masa安藤のブログです。
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