Masa安藤の「アラスカで独り言」



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クロウパストレイル

アンカレジ近郊のハイキングトレイル紹介シリーズ第2弾。

今回はクロウパスだ。


クロウパスはアイディタロッドトレイルの一部で、アリエスカ(ガードウッド)の先にあるクロウクリークロードの先っちょにトレイルヘッドがあって、イーグルリバーまで40kmちょっとのトレイルが続いている。


d0143907_815128.jpgイーグルリバー側はステートパークの管理なのだが、クロウクリークロード側は USFSの管理下にある。


ユーエスフォレストサービスと読むのだが、アメリカ合衆国森林管理局とでも言うのであろうか。

ステートパークでは駐車料金を取られるのに対してこちら側は駐車場は無料である。

これで小さな得した感を感じられるのは悪くない。



d0143907_81355.jpgトレイルの入り口には掲示板とトイレがある。

トイレにはもちろん紙も常備されているが、ここから先にはトイレはない、



d0143907_833148.jpg林間のトレイルをしばらく行く。



d0143907_843086.jpg森林限界に出るまで老人、子供連れでも1時間程、健脚君なら30分だ。




d0143907_85388.jpg8月初旬のこの時期はまだまだワイルドフラワーが咲き乱れている。


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d0143907_8133826.jpgまずは瓦礫の山を右手に、谷を左に見てトレイルは続く。




d0143907_8142049.jpg瓦礫の上には白いふわふわしたものが咲いている。と思いきやこれはカリブーゴケ(と我々は呼んでいる地衣類の一種)である。



d0143907_8151386.jpgトレイルは途中で2手に分かれ、右に行くと最初少し急な坂道の後、山頂までの緩やかな上りが続く。

まっすぐ(左)ゆくと金鉱跡に行く緩やかなトレイルである。こちらのほうがよりサイトシーイングなコースで、山頂までの近道なのだが金鉱跡以降の上りはちょっときつめだ。



d0143907_8164653.jpgトレイルヘッドから老人組の時も子供3人連れの時もほぼ同じ約1時間半で金鉱跡に到着した。



d0143907_8295880.jpgこのシルエットはマウンテンゴートのように見える。

ドールシープは良く見るけどマウンテンゴートはあまり見ないので、個人的には興奮する光景である。



d0143907_8304015.jpgこの上が山頂で、その先が目的のレイブン氷河だ。





d0143907_8315590.jpg金鉱跡コースのきつい上り道はジグザグコースを取ることで老人、子供でも楽に行くことができる(もちろんほぼ直線の上り道コースもあるので健脚君はこちらを利用すべし)。



d0143907_8334031.jpgジグザグコースはさっき2手に分かれたトレイルに合流し、緩やかな上り道を進む。



d0143907_835698.jpg直線コースは川に沿って急な登りを行くものと、このジグザクコースを縦断するものの2種類が代表的だが、


d0143907_8361750.jpgこのあたりからソーシャルトレイルと言って、トレイルはいくつにも分かれて続いている。



d0143907_8372797.jpg途中軽いせせらぎを2つほど越える。

これが1つ目。



d0143907_8383893.jpgこれが2つめ。






d0143907_8391663.jpgとうとう山頂のクリスタルレイクに到着。




d0143907_8404071.jpgUSFSのキャビンもある。

かなりゆっくりペースでトレイルヘッドから2時間45分。




   平らな山頂の道をいくつにも分かれたソーシャルトレイルに沿って三々五々歩いて行くと、キャビンから15~20分後くらいで急に眼下にレイブン氷河が見える。






「おお!!」と皆が驚嘆の声を上げてカメラを取り出す。少し前まで、アメリカでは「コダックモーメント」と言っていたが、デジタル化されて以来死語と化してしまったようだ・・・。


d0143907_8413224.jpgこれがここに到着したハイカーの多くが撮るアングルのショットであろう。しかし、この撮影をした時は、ここだけ風速40マイルくらいの強風が吹いていたため、ここで昼食をとる予定を変更して引き返した。







ここから先はレイブンクリーク沿いのトレイルを下り、その後イーグルリバーまでの平坦な道が続く。ただしグレーシャークリークのすぐ先のイーグルリバーの川越えは、水かさが増していたら結構きついことと、ソーシャルトレイルの選択を間違うと違う所に行くから注意だね。



d0143907_8425111.jpg山頂ではライチョウなども見かける。


母鳥の後を追いかけて急ぐ子供たちは鳩くらいの大きさしかない。

日本では天然記念物だと思うが、こちらではゲームミート(狩猟して食用にする肉)である。



復路は緩やかな方のトレイルを通ってゆっくりと戻る。往路はずっと上り(標高差は630mくらい)で復路はずっと下りと言う行程だが、天気の良い日に日帰りで行くにはもってこいのシーニックでお手軽なハイキングである。


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by 814690 | 2010-10-06 08:57

豊田直己:フォトジャーナリストからのメッセージ

友人の豊田直巳氏から連絡があった。

最近はフォトジャーナリスト・JVJAというグループに所属しているようである。

まずは写真展のお知らせだと言う。


***************************
豊田直巳写真展 「枝川朝鮮学校物語」

「幻の東京オリンピック」から70年。その準備過程で江東区
・枝川の都立の「ごみ捨て場」に移り住まされた在日朝鮮人た
ちがいた。今、その孫やひ孫たちが通う「ウリ ハッキョ」東
京朝鮮第二初級学校。私たちの隣人の彼、彼女の学校生活から
何かが見えてくる。
■日時 10月15日(金)〜21日(木)
■会場 豊洲文化センター 1階ロビー(地下鉄、ゆりかも
め 豊洲駅徒歩3分)
http://www.kcf.or.jp/toyosu/map.html
■オープニング・パーティー   10月15日(金) 午
後6時〜
会場 ジョナサン豊洲店(ファミレス) 参加費 2000円
http://www.mayonaka-navi.info/stores/g20238/
*予約 080-4364-5499(村田) mail@mire-edagawa.com

■豊田直巳 スライド・トーク 『私が出会った世界の子ども
たち、枝川の子どもたち』
日時 10月17日 12時30分〜13時30分 (*14時より
パギやんコンサート)
  会場 東京朝鮮第二初級学校 ( 江東区枝川1-11-26 )
 ○無料

*パギヤン、焼肉コンサート 会場 同校 校庭(雨天講堂)
チケット2000円〜
  http://fanto.org/schedule/index.php/view/327
■枝川朝鮮学校新校舎建設支援コンサート実行委員会
  連絡先 080-4364-5499(村田)
http://hongokongtaiwan.air-nifty.com/
************************************

相変わらず自分はアラスカにいるので、写真展もお話しも聞きには行けない。

次の連絡は彼の専門であるイラク戦争の劣化ウランについての写真展だ。田舎の私には東京の港区にあるこの場所は良く分からないが、以下がその情報である。



**************************************
豊田直巳写真展 「イラク戦争と劣化ウラン」 − 今も続く被
害者の苦しみ −

子供たちは見ていた。米英軍の爆撃を。占領を。銃口を。
子供たちは見ていた。友が傷つき殺され、そして劣化ウランに
苦しんでいるイラクを。

【写真展】10月17日(日)〜10月31日(日)
劣化ウラン弾は放射能兵器です。1991年の湾岸戦争ではじめて
使用され、2003年のイラク戦争では2000トンとも言われる劣化
ウラン弾がイラクの地に落とされました。
そしていまも劣化ウラン弾は紛争地域で使われています。
劣化ウラン弾は放射能兵器です。


【お話会】10月23日(土)13:30〜
講師: 山崎久隆氏(劣化ウラン研究会代表)
テーマ: 劣化ウラン弾とは何か 国際的な流れと日本の現状

場 所
【写真展】港区立男女平等参画センター(リーブラ)3階廊下
に展示
【お話会】港区立男女平等参画センター(リーブラ) 学習室D
参加費 無料 
【3】 主催・申込み・お問い合わせ先
劣化ウラン廃絶みなとネットワーク
連絡先 宮口 Tel&Fax 03-3455-8640
E-mail: miyaguchi704@xqb.biglobe.ne.jp

■参照
http://www.minato-libra.jp/article/13801839.html

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それに豊田氏の文章も掲載されている新刊が9月27日に出たということだ。以下はそのお知らせである。


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『「戦地」に生きる人々』(集英社新書)
豊田直巳が参加するJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会
)で新書を出しました。
本日(9月17日)店頭に並びます。
豊田は本書で編集を担当し、序章、あとがき、第六章:レバノ
ンを執筆しております。
是非、本屋さんやアマゾンhttp://www.amazon.co.jp/dp/4087205576/
 でお求めください。
Twitter等でご紹介をいただける場合はURLのhttp://amzn.to/cAXxLu
をお願いします。

目次
まえがき:見知らぬ人々の悲劇ではなく  堤未果(非会員で
す)
序章:「閉ざされた声」を届けたい    豊田直巳
第一章:チベット 人々の祈り      野田雅也
第二章:ビルマ(ミャンマー) 辺境から見る軍事政権 山本
宗補。 
第三章:マーシャル諸島 蝕まれてゆく島で 森住卓。 
第四章:ハイチ 聖地の村で 佐藤文則。 
第五章:チェチェン 闘う女性たち 林克明。 
第六章:レバノン 境界線に生きる 豊田直巳。
第七章:パレスチナ・ガザ: 封鎖下に生きる人々 古居みず
え。 
あとがき。      

以下、仲間の山本宗補さんが本文の一部を抜き出して紹介して
いますので転載します。

「そう、この本の価値はそこにある。これは遙か遠い土地に住
む見知らぬ人々の悲劇ではなく、それを切り取るジャーナリス
ト、そして受け手である私たち自身の物語でもあるからだ」
(この新書のために寄稿していただいた堤未果さんのまえがき


「それは、『他の誰もが報道しないならば、自分が報じなけれ
ばならない』、と考えているからです。仮に誰も報じなければ
、歴史的な事実さえも、まるでこの世に存在しなかったかのよ
うに社会から抹殺されてしまうという『メディアの時代』を、
私たちは生きています。JVJAの仲間は、そうした状況だからこ
そ、なおさら伝えることの意義を通説に感じているわけです」
(序章 豊田直巳)

「ここには思想や言論の自由も、宗教の自由もある。けれども
、難民であるが故に社会的
権利はない」とロブサンは言う。中国の圧制下で生きる仲間た
ちを思えば、『耐えるほかないのは分かっている』。けれども
、国とは何か、自分は何者なのか、果てしない苦悩が彼を苛む
。『チベットの草原はどんなにおいがするのか。空はどれほど
蒼いのか。想えば想うほど、故国が恋しい』」(第一章 野田
雅也)

「ケビンは、『日本の国連大使は軍事政権の宣伝マンだ』と語
気を強める。カレン族の危機的状況から浮かび上がるのは、日
本がビルマの「民政移管、国民和解、人権状況の改善」に貢献
する姿ではない。少数民族を弾圧し、民主化を求める声を圧殺
する政権に『加担する』姿だった」(第二章 山本宗補)

「その後、病人が続出し、死産や流産も相次ぐなか、ロンゲラ
ップ島民が生まれ故郷を捨てる決意をし、クワジェレン環礁の
無人島だったメジャットへ移住したのは八五年。五七年の帰島
から三〇年近くが過ぎていた。自然の恵みで自給自足の暮らし
をしていた人々は、核実験によって健康を蝕まれただけでなく
、生活の基盤すべてを失ったのである。
マーシャル政府は、『プロジェクト4・1は人体実験だ』として
米国政府の責任を追及している。だが米国は今なお、事実の解
明に必要な機密文書の公表を拒んでいる」(第三章 森住卓)

「おそらく往復で六時間以上は歩いたのだろう。電話のモナの
声は、先日と違い、ひどく疲れた様子だった。『ポルトープラ
ンスの建物はみんな壊れて、ひどいありさまよ。それにゴミと
糞尿と死臭がひどい。においが体や服に染みついて、何度洗っ
ても取れない!』
そう話したモナは、電話口で泣き叫んでいた。震災後、懸命に
抑えていた感情が一気に爆発したのだ。震災の様子をにおいで
伝えようとしたモナの言葉が、私の心に強く響いた」
(第四章 佐藤文則)

「チェチェンの現状をどうやって世界に伝えていくか。議論は
三時間に及び、議長役の女性(62)が、『ロシアはチェチェン
の魂を屈服させることはできない。それをペンの力で訴えてい
こう』と締めくくった。『私には自分が見たこと、知ったこと
を、伝える勇気がある』。言論の自由などないに等しい状況に
あっても、タイーサはそう言い切る。今、メディアが支配体制
に組み込まれ、別の意味で言論や表現活動の自由が危うくなっ
ている日本で、私は彼女の言葉をかみしめている」(第五章 
林克明)

「『塔の上にイスラエルの監視カメラが見えるでしょう。あそ
こもシェバ農場の一部でした。
あの先には一四の農場があり、約一二〇〇家族の農民が住んで
いたんです。どの家族も
羊を二〇〇頭あまり飼っていて、とても豊かな暮らしをしてい
ました。私の家族もその一つでした』」(第六章 豊田直巳)

「二〇〇〇年からの第二インティファーダの時は、イスラエル
兵に追われた若者を家に
かくまい、何度も逃してやった。兵士が来ても、ウンム・アシ
ュラフは引き下がらなかった。殴られて前歯が何本も折れた。
『私たちはいつも頑張ってきた。いつかいい日が来る、いつか
いい日が来る、そう言って頑張ってきた。つらい時はいくらで
もあったければ、心から楽しいと思う時はなかった』。ウンム
・アシュラフは、自分が生きてきた六〇年を振り返って、そう
言った」(第七章 古居みずえ)
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おお、これはかなり気がめいる内容かもしれない。しかし実際に今この平和なニッポンやアラスカで時間を過ごしているこの同じ時に、こういった状況下に人々がおかれているということを知っておくということは絶対に必要なことと思うのだ。
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by 814690 | 2010-10-05 05:57


アラスカ生活mo30年! アラスカが大好きで、そのアラスカの素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいと願ってやまない男、しろくま代表:Masa安藤のブログです。
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